【テーマ】地域づくりにかかわる仕事(B班)
【取材先】(株)ぶれきめら
【メンバー】鬼澤 敦子 石田 有記 荻無里 広造 冨田 千晴 小澤 鷹弥

みなさんは、「地域づくり」という仕事を知っていますか?
大都会のど真ん中でも、田んぼが広がる郊外でも、どこにでもあるお仕事です。
みなさんの町にも、きっとあると思います。
「地域づくり」、それは、地元のことをもっと知ってもらおう、地元をもっと盛り上げよう!
という、郷土愛に根差したお仕事なのです。
町の名産や催しを知ってもらい、どんどん広めていくことで、町全体がどんどん盛り上がって、
その地域で雇用が生まれて、人の流れが生まれ、町が活性化していく。
この大きな人の流れの、小さなきっかけを生み出す仕事、それが「地域づくり」のお仕事です。

水運の町 佐原―日本のベネチア
水運の町として古くから栄えた「佐原」。この町を日本の「ベネチア」と呼ぶ人もいます。
そんな町のシンボルとも言える「船」を通して地域づくりにかかわる「株式会社 ぶれきめら」の事業部長 齋藤謙二さんから、地域づくりという仕事の魅力ややりがいについて、お話をうかがいました。
「ぶれきめら」さんは、千葉県佐原の地域づくりに取り組んでいます。
船での町なみ観光を始め、無料休憩所や駐車場の運営、地域の名産を活かした日本料理やデザートを提供しています。

「地域の活性化のために、みんなで力を合わせて」
社名の「ぶれきめら」に込められた想いを、お聞かせください
「ぶれきめら」の「ぶれ」はギリシャ語の「青」で、水郷さわらの水の青、空の青を表しています。「きめら」は、ギリシャ神話に出てくる伝説上の生き物で、会社のトレードマークにもなっています。頭は獅子、胴は山羊、尾は蛇と、別々な動物が一つになっているところから、それぞれの異なる能力・才能を集めて、より優れた「まちおこし」の仕事を成し遂げようという願いから名づけました。
佐原には、10団体以上のNPO他、各団体が存在しています。それぞれの団体が、各々のポジションで佐原を活性化するために頑張っているんです。地域の活性化のために、みんなで力を合わせてやっていこう、というわけですね。
「配当は『佐原の賑わい』」
会社を立ち上げたきっかけを教えてください。
ぶれきめらの設立は、今から10年前、平成14年です。現在の代表取締役である木内が、発起人になって会社の設立資金の出資を募りました。当社の設立の第一の目的は「町おこし」ですので、出資に対する配当は「佐原の賑わいです」と呼びかけました。そこに意気を感じてくださった有志の方々の出資に支えられ、当社は誕生しました。
もともと佐原は水運で栄えた町なんですが、時代の流れで水運は廃れていってしまいました。佐原を流れる小野川も、整備されずに泥川のようになっていました。そこで、NPO「小野川と佐原の町なみを考える会」が中心となって、川の整備を進めました。その整備を受け、当社では、平成15年から、「船」による観光事業を立ち上げたというわけです。
「お客さんが、たった一人でも『佐原に来てよかった。』と思ってもらえるように」
東日本大震災から、わずか1週間で観光船の運航を再開されたと聞きました。
平成21年度が、今までで一番お客さんが多かったですね。船での観光を目当てに来ていただいていました。ちょうど事業が軌道に乗ってきた時に、平成23年の3月11日、東日本大震災がありました。
船を出す小野川は、利根川に通じている下流の方では、液状化が起こってしまいました。町おこしという状況ではありませんでしたが、一週間後の3月19日には運行コースの安全を確認し再開いたしました。地震後訪れてくださったお客さんが、もしたった一人でも『佐原は、何もないじゃないか。なんだ、この、がれきの山は!』と不快な気持ちになってしまわれないよう、舟と人を配備して待っていました。
地震の直後はお客さんゼロという日が何日も続いて、平成22年度は前年度比で半分以下になってしまいましたが、今は21年度の75%くらいまで戻ってきた感じですね。ここ最近は、外国の方の声もちらほら聞くようになりました。
「町なみをゆっくり楽しんでもらう」「地元で作った醤油で、ジェラートを提供」
佐原の見どころはなんですか
今は、往復30分ほどの町なみコースがおすすめです。町なみをゆっくり楽しんでもらうのがコンセプトですね。船着き場のそばには、日本料理「佐原千よ福」があります。ここは当初ぶれきめらの直営だったのですが、平成20年度から業務委託をしています。食事関係はプロにお任せした方がよいだろう、という判断です。
また、佐原では店舗に古民家を利用したフレンチやイタリアンのお店も増えてきました。テレビなどでも取り上げられましたね。
お休み処では名物のしょうゆジェラートアイスを提供しています。しょうゆって野田や銚子のイメージが強いかもしれませんが、昔は佐原も醤油の醸造が盛んだったんですね。そこで、地元で作った醤油で、ジェラートを提供しているんです。珍しさもあって、一番人気ですね。森田知事にもPRしてもらいました。他にも、季節のいちごやブルーベリーを用いたジェラートや、ショウガの薬膳ジェラートがありますよ。
お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり
佐原の素敵な町なみは「小江戸」とも呼ばれますね。
ええ、昔は東北や銚子から佐原を経由して、江戸まで米を運んだりしていました。そうして栄えていたので、小江戸と呼ばれていました。今の町なみはその頃から残るものなんですよ。香取市では、佐原と埼玉県の川越市、栃木県栃木市とで小江戸サミットを設立して、町づくりを進めています。平成23年には、それこそ本当に江戸、東京でイベントをやったりもしていましたよ。
「佐原の偉人、伊能忠敬が没後200年になるんです。」
今後、佐原の地域活性化のために何かプランがあるんですか?
2018年に、佐原で育った偉人、伊能忠敬が没後200年になるんです。それにあわせて、伊能忠敬の大河ドラマ化を呼びかけています。当社の役員も数名、呼びかけに参加しています。
「船を棹で漕ぐことができる若い人は、ほとんどいません。」
今、もっとも心配なことはなんですか
なんといっても後継者問題ですね。現在は舟をメインで行っていますが、船頭さんも平均年齢が74歳になっているんです。しかし、今は舟を棹で漕ぐことができる若い人は、ほとんどいません。今の船頭さんたちは、みんな子どものころから、稲を積んだり遊びに使ったり、日常的に舟を使っていましたからね。通常の観光はエンジンを使っていますが、やはり結婚式の嫁入り舟およびイベントなどには、古式ゆかしい棹漕ぎを用いたいです。
船頭さんの後継者問題に、何かいい方法はないかと思案しています。
「地元に興味をもって、地元を好きになって自分なりのやりがいを見出す」
このお仕事の面白さややりがいを、一言で表すとどうですか?
普通の企業と違って、「町づくり」の仕事は半分ボランティア精神がなければ務まりません。地元に興味をもって、地元を好きになって、ボランティア的な精神で行動する中で自分なりのやりがいを見出すということですかね。
「町おこし」という仕事は、地元愛を育てるだけでは十分ではありません。いくら郷土愛があっても、地元で働く場所がなければ若い人は外に出て行ってしまいます。観光という産業を通して、地域を活性化して若者が働く場所を作るということも大事ですし、そこに当社のやりがいもあります。
「お客さんに『佐原に来てよかった』『また来たいね』と言っていただけること」
この仕事をやっててよかった、と思うのはどんな時ですか?
お客さんに『佐原に来てよかった』『また来たいね』と言っていただけることが、やっぱり一番うれしいですね。近くに住む方に、『佐原ってすぐ近くにこんないいところあったんだね』って言っていただいた時も、うれしかったです。
今日はどうもありがとうございました。

「ぶれきめら」さんの活動を通して
佐原の美しい町なみには、とてもわくわくしました。こんな風に地域に興味をもつことが、「地域づくり」の第一歩になるのでしょう。
日々の暮らしのなかで、学校の授業の中で、ちょっと外食に出たときに・・・・・・。ちょっとしたことから、地元愛をもってみませんか。自分の町、いい町だなって思ってみませんか。
人と人をつなぐ「地域づくり」の仕事は、そこの住人みんなが顧客であり、従業員であり、演出家であり、広告塔なんです。とても素敵な仕事だと感じました。
インタビューに答えてくださった事業部長の齋藤さん、誠にありがとうございました。

「ぶれきめら」さんと佐原の町に興味をもった方は・・・・・・
今回インタビューを受けてくださった「ぶれきめら」さんのHPです。
ぶれきめらさんの活動について、もっと詳しく知りたい方はHPをご覧ください!
【取材先】(株)ぶれきめら
【メンバー】鬼澤 敦子 石田 有記 荻無里 広造 冨田 千晴 小澤 鷹弥

みなさんは、「地域づくり」という仕事を知っていますか?
大都会のど真ん中でも、田んぼが広がる郊外でも、どこにでもあるお仕事です。
みなさんの町にも、きっとあると思います。
「地域づくり」、それは、地元のことをもっと知ってもらおう、地元をもっと盛り上げよう!
という、郷土愛に根差したお仕事なのです。
町の名産や催しを知ってもらい、どんどん広めていくことで、町全体がどんどん盛り上がって、
その地域で雇用が生まれて、人の流れが生まれ、町が活性化していく。
この大きな人の流れの、小さなきっかけを生み出す仕事、それが「地域づくり」のお仕事です。

水運の町 佐原―日本のベネチア
水運の町として古くから栄えた「佐原」。この町を日本の「ベネチア」と呼ぶ人もいます。
そんな町のシンボルとも言える「船」を通して地域づくりにかかわる「株式会社 ぶれきめら」の事業部長 齋藤謙二さんから、地域づくりという仕事の魅力ややりがいについて、お話をうかがいました。
「ぶれきめら」さんは、千葉県佐原の地域づくりに取り組んでいます。
船での町なみ観光を始め、無料休憩所や駐車場の運営、地域の名産を活かした日本料理やデザートを提供しています。

「地域の活性化のために、みんなで力を合わせて」

「ぶれきめら」の「ぶれ」はギリシャ語の「青」で、水郷さわらの水の青、空の青を表しています。「きめら」は、ギリシャ神話に出てくる伝説上の生き物で、会社のトレードマークにもなっています。頭は獅子、胴は山羊、尾は蛇と、別々な動物が一つになっているところから、それぞれの異なる能力・才能を集めて、より優れた「まちおこし」の仕事を成し遂げようという願いから名づけました。
佐原には、10団体以上のNPO他、各団体が存在しています。それぞれの団体が、各々のポジションで佐原を活性化するために頑張っているんです。地域の活性化のために、みんなで力を合わせてやっていこう、というわけですね。
「配当は『佐原の賑わい』」

ぶれきめらの設立は、今から10年前、平成14年です。現在の代表取締役である木内が、発起人になって会社の設立資金の出資を募りました。当社の設立の第一の目的は「町おこし」ですので、出資に対する配当は「佐原の賑わいです」と呼びかけました。そこに意気を感じてくださった有志の方々の出資に支えられ、当社は誕生しました。
もともと佐原は水運で栄えた町なんですが、時代の流れで水運は廃れていってしまいました。佐原を流れる小野川も、整備されずに泥川のようになっていました。そこで、NPO「小野川と佐原の町なみを考える会」が中心となって、川の整備を進めました。その整備を受け、当社では、平成15年から、「船」による観光事業を立ち上げたというわけです。
「お客さんが、たった一人でも『佐原に来てよかった。』と思ってもらえるように」

平成21年度が、今までで一番お客さんが多かったですね。船での観光を目当てに来ていただいていました。ちょうど事業が軌道に乗ってきた時に、平成23年の3月11日、東日本大震災がありました。
船を出す小野川は、利根川に通じている下流の方では、液状化が起こってしまいました。町おこしという状況ではありませんでしたが、一週間後の3月19日には運行コースの安全を確認し再開いたしました。地震後訪れてくださったお客さんが、もしたった一人でも『佐原は、何もないじゃないか。なんだ、この、がれきの山は!』と不快な気持ちになってしまわれないよう、舟と人を配備して待っていました。
地震の直後はお客さんゼロという日が何日も続いて、平成22年度は前年度比で半分以下になってしまいましたが、今は21年度の75%くらいまで戻ってきた感じですね。ここ最近は、外国の方の声もちらほら聞くようになりました。
「町なみをゆっくり楽しんでもらう」「地元で作った醤油で、ジェラートを提供」

今は、往復30分ほどの町なみコースがおすすめです。町なみをゆっくり楽しんでもらうのがコンセプトですね。船着き場のそばには、日本料理「佐原千よ福」があります。ここは当初ぶれきめらの直営だったのですが、平成20年度から業務委託をしています。食事関係はプロにお任せした方がよいだろう、という判断です。
また、佐原では店舗に古民家を利用したフレンチやイタリアンのお店も増えてきました。テレビなどでも取り上げられましたね。
お休み処では名物のしょうゆジェラートアイスを提供しています。しょうゆって野田や銚子のイメージが強いかもしれませんが、昔は佐原も醤油の醸造が盛んだったんですね。そこで、地元で作った醤油で、ジェラートを提供しているんです。珍しさもあって、一番人気ですね。森田知事にもPRしてもらいました。他にも、季節のいちごやブルーベリーを用いたジェラートや、ショウガの薬膳ジェラートがありますよ。
お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり

ええ、昔は東北や銚子から佐原を経由して、江戸まで米を運んだりしていました。そうして栄えていたので、小江戸と呼ばれていました。今の町なみはその頃から残るものなんですよ。香取市では、佐原と埼玉県の川越市、栃木県栃木市とで小江戸サミットを設立して、町づくりを進めています。平成23年には、それこそ本当に江戸、東京でイベントをやったりもしていましたよ。
「佐原の偉人、伊能忠敬が没後200年になるんです。」

2018年に、佐原で育った偉人、伊能忠敬が没後200年になるんです。それにあわせて、伊能忠敬の大河ドラマ化を呼びかけています。当社の役員も数名、呼びかけに参加しています。
「船を棹で漕ぐことができる若い人は、ほとんどいません。」

なんといっても後継者問題ですね。現在は舟をメインで行っていますが、船頭さんも平均年齢が74歳になっているんです。しかし、今は舟を棹で漕ぐことができる若い人は、ほとんどいません。今の船頭さんたちは、みんな子どものころから、稲を積んだり遊びに使ったり、日常的に舟を使っていましたからね。通常の観光はエンジンを使っていますが、やはり結婚式の嫁入り舟およびイベントなどには、古式ゆかしい棹漕ぎを用いたいです。
船頭さんの後継者問題に、何かいい方法はないかと思案しています。
「地元に興味をもって、地元を好きになって自分なりのやりがいを見出す」

普通の企業と違って、「町づくり」の仕事は半分ボランティア精神がなければ務まりません。地元に興味をもって、地元を好きになって、ボランティア的な精神で行動する中で自分なりのやりがいを見出すということですかね。
「町おこし」という仕事は、地元愛を育てるだけでは十分ではありません。いくら郷土愛があっても、地元で働く場所がなければ若い人は外に出て行ってしまいます。観光という産業を通して、地域を活性化して若者が働く場所を作るということも大事ですし、そこに当社のやりがいもあります。
「お客さんに『佐原に来てよかった』『また来たいね』と言っていただけること」

お客さんに『佐原に来てよかった』『また来たいね』と言っていただけることが、やっぱり一番うれしいですね。近くに住む方に、『佐原ってすぐ近くにこんないいところあったんだね』って言っていただいた時も、うれしかったです。
今日はどうもありがとうございました。

「ぶれきめら」さんの活動を通して
佐原の美しい町なみには、とてもわくわくしました。こんな風に地域に興味をもつことが、「地域づくり」の第一歩になるのでしょう。
日々の暮らしのなかで、学校の授業の中で、ちょっと外食に出たときに・・・・・・。ちょっとしたことから、地元愛をもってみませんか。自分の町、いい町だなって思ってみませんか。
人と人をつなぐ「地域づくり」の仕事は、そこの住人みんなが顧客であり、従業員であり、演出家であり、広告塔なんです。とても素敵な仕事だと感じました。
インタビューに答えてくださった事業部長の齋藤さん、誠にありがとうございました。

「ぶれきめら」さんと佐原の町に興味をもった方は・・・・・・
今回インタビューを受けてくださった「ぶれきめら」さんのHPです。
ぶれきめらさんの活動について、もっと詳しく知りたい方はHPをご覧ください!